別れの時
2018年 03月 19日
春は、旅立ちの時。
人生の中には、いろんな旅立ちの時があり、別れの時があります。
嬉しい旅立ちと別れもあれば、悲しい旅立ちを見送る別れもあります。
そして今回、私は、悲しい旅立ちを見送る別れの時にいます。
私の父がこの世から旅立っていってしまいました。それは、突然に来ました。
それは、普通の土曜日の朝、今日も休みだが他の仕事もあるなぁと思っていた時にかかってきた兄からの電話。
久々の兄の声は、ぶっきらぼうでした。そして告げられたのは、「父が亡くなった。。。。」という言葉でした。
父は、去年母が亡くなってからケアハウスに移り住んでいました。同年代の人々がいるし、私と母のことで対立したりして、余り私と話さなかったし、そこへ入るのを決めたのも父自身でした。
一人の人が住める居住スペース、そこにトイレも風呂もあり、大きな共同のお風呂もあるようでした。食事も3食食べれるからもう炊事をしなくてもいいんだけど、小さなキッチンもついていました。
私は、そこへ行くことは、なかったのですが、息子が時々行っていました。彼には、凄く感謝しています。
父は、車を運転したがっていたのですが、老人の運転事故が多くなってきているので返納を勧めたのですが、遂に返納をせずに逝きました。
車は、売ってもバイクを買って乗っていたのを息子から聞いてビックリしていました。そのうち会って話をしたいなと思っていました。
それが夜中にトイレに行った後、脳出血をおこして倒れてそのまま逝ってしまいました。朝、朝食に降りてこない父を職員さんが見に行ってくれて倒れているのを発見、救急と私達に連絡が来たのでした。
着いた時に見せもらった父は、床の上に横になっていました。触ることができなかったので(検視などが済まないと駄目とかで。)入り口から観ていたのですが、寝ているようでもあり、外傷がないのですからとても不可思議でした。その後警察の検察、検視を経て、協力医の検視で原因が分かりました。長かったです。
昨日まで行きていた父、なんで電話しなかったんだろう、なんで買い物や食事に誘わなかったんだろうなど、後悔が湯水のように湧いて悲しさを増しています。悲しいです。でも仕方ないです。
最後までしっかりとした父のイメージを崩すことなく、逝ってしまいました。いつも自分でなんでもできる人でした。そしていつも自分が正しい人でした。大体において正しいけど、私をいつまでも子供みたいに思って居たみたいでした。他人には、違うよう言っていたみたいですが、私に対しては、父と子、優劣というスタンスをいつまでも変えなかったです。
私と兄でお葬式を頼み、斎場の方へ遺体を運んで少し日数が空くのですが、預かって安置しておいていただいています。
母が亡くなってその時に後を追っていかないかしら??と皆で心配していたのですが、1年ちょっととは、やはり早すぎます。
家に来なくても家のご近所の人達には、会いに来ていたらしく、この間あったばかりなのに。。。とお知らせをしていくと皆さんに言っていただきました。
思いは、凄く残りますが、それを抱えて生きていかなければならないのですよ、人生は、辛いですね。
明後日、見送りです。辛いですねぇ。でも頑張ります。
by gabbyna
| 2018-03-19 23:23
| カトリックのつぶやき