魚を食べる日
2010年 04月 02日
今年もやってきました、Easterの前の聖週間、今年の聖金曜日は、4月2日です。そう、聖金曜日は、お肉を食べない日なのです。
宗教的な意味合いが凄く強いのですが、何せ、カトリックが国教の国なので案外国民は、「明日は、魚を食べる日」と決め込んでいるというか、信じ込んでいるわけです。
で、私の住んでいる市は、港で有名な市で店のある地域は、お魚の市場があるのです。市場といっても魚屋さんが軒を連ねている一角があり、そこ全部のお店が魚屋というわけです。だからどこで買っても同じという気もしますが、そこは、やはり馴染みのお店へ行くわけです。
私の旦那さんも店を経営していることや亡くなった義父が元々市場で野菜を売っていた人だったので知人も多く、義父も魚釣りを趣味としていたのでどの店がいいということは、結構細かく知っていたものでおなじみの店があるわけです。
私は、段々お肉が食べたくなくなってきているので週に一度は、魚を食べるようにしています。旦那さんも魚を買ってきてくれるのですがお馴染みの魚屋さんは、サーモンとかを上手に刺身にしてきってくれます。
流石に板前さん(こちらだとSushimenという呼び方が定着しています。)のようには、いきませんが、そこそこ上手にきってくれるので助かります。海老とか烏賊とかも頼むときれいにしてくれますが、日本人のきれいさには、程遠い部分もあるので家で自分で下ごしらえをしなおします。
そんな魚の市場も今日は、一杯でお客でごった返しているのでとても刺身状にしてもらうサーモンは、買えず、海老を買ってきた旦那さんでした。今日は、天ぷら、明日は、何にしましょうか?!
神様の受難を思って、神様と同じ食卓を囲むという行為、過ぎ越しの意味を考えながらの食事を通して一番大切なことを思い出したいと思います。
宗教的な意味合いが凄く強いのですが、何せ、カトリックが国教の国なので案外国民は、「明日は、魚を食べる日」と決め込んでいるというか、信じ込んでいるわけです。
で、私の住んでいる市は、港で有名な市で店のある地域は、お魚の市場があるのです。市場といっても魚屋さんが軒を連ねている一角があり、そこ全部のお店が魚屋というわけです。だからどこで買っても同じという気もしますが、そこは、やはり馴染みのお店へ行くわけです。
私の旦那さんも店を経営していることや亡くなった義父が元々市場で野菜を売っていた人だったので知人も多く、義父も魚釣りを趣味としていたのでどの店がいいということは、結構細かく知っていたものでおなじみの店があるわけです。
私は、段々お肉が食べたくなくなってきているので週に一度は、魚を食べるようにしています。旦那さんも魚を買ってきてくれるのですがお馴染みの魚屋さんは、サーモンとかを上手に刺身にしてきってくれます。
流石に板前さん(こちらだとSushimenという呼び方が定着しています。)のようには、いきませんが、そこそこ上手にきってくれるので助かります。海老とか烏賊とかも頼むときれいにしてくれますが、日本人のきれいさには、程遠い部分もあるので家で自分で下ごしらえをしなおします。
そんな魚の市場も今日は、一杯でお客でごった返しているのでとても刺身状にしてもらうサーモンは、買えず、海老を買ってきた旦那さんでした。今日は、天ぷら、明日は、何にしましょうか?!
神様の受難を思って、神様と同じ食卓を囲むという行為、過ぎ越しの意味を考えながらの食事を通して一番大切なことを思い出したいと思います。
by gabbyna
| 2010-04-02 12:34
| カトリックのつぶやき