静けさの必要性
2010年 03月 22日
義父の死によって仏壇というものを預かる形となった私。
前から書いているように実家にも仏壇というものがなく、私自身もカトリックという身の上ゆえ、仏壇をどう取り扱っていいのか??という疑問が一杯になり、ネットで読んでいても歯がゆい思いをしていた私、ふと2年間にあった日本人女性を思い出しました。
彼女とは、サンパウロで在住日本人女性たちのでやった「カレーの会」なるものに参加した時に知り合ったのですが、その後まったくお会いする機会もなく、過ごしてきました。その彼女は、なんとお寺さんの奥さんだったのです。で、彼女ならきっと私の疑問に答えてくれるかな??と思い、メールをしてみたのです。そして返事をいただいたら、なんとご主人は、出張中で彼女が一人ということが解りました。
まず、日本の仏教の住職が地球の反対側で布教をしているということにびっくりしていたのに、信者さんの為に遠路はるばるとS市からB市まで飛んで行っているというのを聞いてお坊さんも大変な職業なのだなぁと改めて思いました。それで、ご主人とも話をしたいと思い、私の休みの日に思い切って会いに行くことにしました。
私の住んでいる市から彼女の市までは、片道3時間ぐらいかかります。なので知り合いのタクシーのお兄さんにお願いしてこちらのお友達のKさんも一緒に出かけていきました。
最初にLiberdadeにちょっと寄って新しいお位牌を買いました。そう、我が家にあった位牌も凄いひどい状態だったのです。そしてそこのご主人が位牌に記入をしてくれるということでお願いをしました。沖縄の位牌は、これまた独特、生前の名前を書き込みます。沖縄の法事は、独特でいわゆる「先祖崇拝」なのです。なので仏壇に仏様がいないし、位牌の名前も変わらないというわけです。
その後そこから1時間半、タクシーの運転手のお兄様は、45年前にそこに住んでいたという人で余り変化のないこの国なのに最近は、開発がどんどん活発化しているので非常に変わってしまったというので途中で確かめながら彼女の家にやっと!たどり着きました。
しかし、周りは、がっちりと壁が高く張り巡らされ、呼び出しのベルもきちんと防犯カメラつき。ああ、大変だなぁと思いながら中へお邪魔をしました。しかし、中は、凄い素敵なおうちでした。なんか、お坊さんの実力を見たというか、一杯の檀家さんを束ねるご住職なのだと妙に感動をしたのでした。
しかし、若いご住職でした。なんか、まだ学生??っと言っても通りそうな若々しい彼と奥さん。可愛いかったです。(すっかりとお姉さん目線)しかし、話の内容は、凄く濃い、しっかりと話を聞いてしっかりと答えてくれる、そう、こういう人がやはり頼りになると思いました。
まじめな話から雑談まで一杯話をしてもらったのですが、こちらで困っている点で共通していたのは、「ブラジル人は、煩すぎる」ということでした。静かに出来ないのか??いつでも話をしているということでした。きっと講和なんかもきちんと聞かないんだろうなぁって思いましたね。
私がこちらで私の宗教の教会にいかないのは、余りになんか、いろいろとMIXして信仰をしているのが理解できないからです。なんか、カトリックの教えの筈が、地元の宗教が混じりすぎていろんな信心があるようでそれが理解できないからです。そして祈りもなんか、歌で済ますのが多いですね。
祈りとは、心の中で神と対話するということだと思います。仏様に祈るのも同じじゃないかと思うのです。
静けさの中できちんと自分と対自して神様や仏様に今のままを話すということだと思います。祈りで御利益を願うということではないと思うのです。
お寺を見せていただいたのですが、それにしてもこんなサンパウロの中にこんな素晴らしいお寺があるなんて誰が想像できるでしょう?!シンプルで尚且つモダン、重厚な雰囲気が伝わってきました。凄いパワーを感じました。彼女たちの宗派のシンプル性が際立ち、私的には、これこそ、仏教だと思えました。
そして私の想像していた、古いタイプのお寺(仏像がごちゃごちゃという感じ)じゃなくてよかったわというのが本音でした。あれは、ど~~しても馴染めないのです。
私の疑問にきちんと答えを与えてくれて、そして尚且つ、大切な何かを思い出させてくれた今回の再会は、行って本当によかったと思いました。
前から書いているように実家にも仏壇というものがなく、私自身もカトリックという身の上ゆえ、仏壇をどう取り扱っていいのか??という疑問が一杯になり、ネットで読んでいても歯がゆい思いをしていた私、ふと2年間にあった日本人女性を思い出しました。
彼女とは、サンパウロで在住日本人女性たちのでやった「カレーの会」なるものに参加した時に知り合ったのですが、その後まったくお会いする機会もなく、過ごしてきました。その彼女は、なんとお寺さんの奥さんだったのです。で、彼女ならきっと私の疑問に答えてくれるかな??と思い、メールをしてみたのです。そして返事をいただいたら、なんとご主人は、出張中で彼女が一人ということが解りました。
まず、日本の仏教の住職が地球の反対側で布教をしているということにびっくりしていたのに、信者さんの為に遠路はるばるとS市からB市まで飛んで行っているというのを聞いてお坊さんも大変な職業なのだなぁと改めて思いました。それで、ご主人とも話をしたいと思い、私の休みの日に思い切って会いに行くことにしました。
私の住んでいる市から彼女の市までは、片道3時間ぐらいかかります。なので知り合いのタクシーのお兄さんにお願いしてこちらのお友達のKさんも一緒に出かけていきました。
最初にLiberdadeにちょっと寄って新しいお位牌を買いました。そう、我が家にあった位牌も凄いひどい状態だったのです。そしてそこのご主人が位牌に記入をしてくれるということでお願いをしました。沖縄の位牌は、これまた独特、生前の名前を書き込みます。沖縄の法事は、独特でいわゆる「先祖崇拝」なのです。なので仏壇に仏様がいないし、位牌の名前も変わらないというわけです。
その後そこから1時間半、タクシーの運転手のお兄様は、45年前にそこに住んでいたという人で余り変化のないこの国なのに最近は、開発がどんどん活発化しているので非常に変わってしまったというので途中で確かめながら彼女の家にやっと!たどり着きました。
しかし、周りは、がっちりと壁が高く張り巡らされ、呼び出しのベルもきちんと防犯カメラつき。ああ、大変だなぁと思いながら中へお邪魔をしました。しかし、中は、凄い素敵なおうちでした。なんか、お坊さんの実力を見たというか、一杯の檀家さんを束ねるご住職なのだと妙に感動をしたのでした。
しかし、若いご住職でした。なんか、まだ学生??っと言っても通りそうな若々しい彼と奥さん。可愛いかったです。(すっかりとお姉さん目線)しかし、話の内容は、凄く濃い、しっかりと話を聞いてしっかりと答えてくれる、そう、こういう人がやはり頼りになると思いました。
まじめな話から雑談まで一杯話をしてもらったのですが、こちらで困っている点で共通していたのは、「ブラジル人は、煩すぎる」ということでした。静かに出来ないのか??いつでも話をしているということでした。きっと講和なんかもきちんと聞かないんだろうなぁって思いましたね。
私がこちらで私の宗教の教会にいかないのは、余りになんか、いろいろとMIXして信仰をしているのが理解できないからです。なんか、カトリックの教えの筈が、地元の宗教が混じりすぎていろんな信心があるようでそれが理解できないからです。そして祈りもなんか、歌で済ますのが多いですね。
祈りとは、心の中で神と対話するということだと思います。仏様に祈るのも同じじゃないかと思うのです。
静けさの中できちんと自分と対自して神様や仏様に今のままを話すということだと思います。祈りで御利益を願うということではないと思うのです。
お寺を見せていただいたのですが、それにしてもこんなサンパウロの中にこんな素晴らしいお寺があるなんて誰が想像できるでしょう?!シンプルで尚且つモダン、重厚な雰囲気が伝わってきました。凄いパワーを感じました。彼女たちの宗派のシンプル性が際立ち、私的には、これこそ、仏教だと思えました。
そして私の想像していた、古いタイプのお寺(仏像がごちゃごちゃという感じ)じゃなくてよかったわというのが本音でした。あれは、ど~~しても馴染めないのです。
私の疑問にきちんと答えを与えてくれて、そして尚且つ、大切な何かを思い出させてくれた今回の再会は、行って本当によかったと思いました。
by gabbyna
| 2010-03-22 12:40
| カトリックのつぶやき