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幸せの意味

こちらへ来て、既に6年目になります。私は、2度目の結婚相手が日系人であったことで国際結婚となっていたのですが、まさか、本当に海外へ住むとは、あの頃思っていもいなくて、未だに日本国外に住んでいることが不思議に思うことも多々あります。

月日が経って前の離婚の原因となったいろんな事の軋轢、伴う苦痛は、きっと今の私なら耐えれるなぁと折に触れて思います。あの頃は、本当に辛くて、悲しかったことも今に比べたらきっと半分も辛くも悲しくもなかったかもしれないと時々思います。時というのは、本当に誰にでも神様が与えてくれる貴重な薬なんだなぁと改めて思うのです。

ベルナデッタ―マリアさまを見た少女

坂牧 俊子 / 女子パウロ会



ベルナデッタ・スピルーは、貧しく無学の少女でカトリックの勉強をすることもまだ出来なかった頃にマリア様の出現を見ます。ただ、彼女は、その時、それが聖母マリア様ということを認識できていなかったのですが、彼女は、約束を守り、その後15日間そこへ通い続けたのでした。

その洞窟を掘れといわれて彫り続けて湧き出てきた水は、その後泉となり、いわゆる奇跡を起こした水として未だに信じられています。カトリックの奇跡の認証の定義は、非常に厳しく簡単には、認証されないのです。

カトリック教会が彼女が見たのが聖母マリア様と確定して彼女を信じるまで彼女は、誹謗中傷を受けたりしていました。それでも彼女は、自分の見たのがマリア様ということを信じていたものでした。その後修道院に入り、わずか35歳でなくなってしまったベルナデッタの遺骸は、ヌヴェールの修道院に安置されていました。そしてその遺体は、久しく腐敗を見られない眠ったままのベルナデッタであり続けていました。

カトリック教会がその後、ルルドの泉とか、他の調査をして彼女を聖人として列聖をしました。

14歳でマリア様を見てからの彼女の人生は、ひたすら苦難ではなかったかと思います。その8年後に修道会へ入って外の社会から遮断された生活は、きっと彼女に安らぎを与えたのではないかと思います。
彼女は、普通の人には、ありえない「シアワセ」を得たのですが、普通の生活での「シアワセ」は、彼女は、得られなかったわけです。

ちょっと飛躍しすぎた話ですが、ごく普通のシアワセは、日常の中にあるというのが私の意見です。それを一度失ってみるとそれを取り戻る為にどれだけの犠牲と苦痛を払わなければならないかがしみじみと解るからです。

聖母月、マリア様を思うと、必ずついて考えるのが聖女ベルナデッタのことになる私です。
by gabbyna | 2009-05-15 13:45 | カトリックのつぶやき

いろんな思うこと、あれこれと。。。。。


by gabbyna