Easterに向けて・・・エマオへの旅人
2009年 04月 08日
復活祭が近づくと聖書を読み直して、主の受難、復活を考えることをします。
そして私が一番好きな、エマオへの旅人の章がこの主の復活を彩ります。
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エマオへの旅人(ルカ24章13~35節)
ちょうど同じ日のことであった。二人の弟子がエルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村に向かって歩いて行きながら、これらいっさいの出来事について話し合っていた。二人がともに話し合ったり、論じ合ったりしていると、イエズスご自身が近づいて来て、いっしょに歩き始められた。しかし、二人の目はさえぎられていて、このかたがイエズスであるとは気づかなかった。
すると、イエズスは二人に、「あなたがたが歩きながら語り合っているその話はなんの事ですか」と仰せになった。そこで、二人は暗い顔をして立ちどまった。そして、その一人、クレオパという者が答えて、「エルサレムに滞在していながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけがご存じないのですか」と言った。
イエズスが、「それはどんな事ですか」とお尋ねになると、二人は言った。「ナザレのイエズスのことです。このかたは神とすべての民の前で、行ないにも、言葉にも力のある預言者でした。それなのに、われわれの大祭司や議員たちが、このかたを死刑にするために引き渡し、そして十字楽につけてしまったのです。わたしたちは、イスラエルをあがなってくださるのは、このかただと望みをかけていました。
しかも、その事があってから、きょうでもう三日目です。ところが、仲間の数人の婦人が、わたしたちを驚かせました。というのは、彼女たちが朝早く墓に行きましたが、イエズスの体は見当たりませんでした。そして、帰って来て、み使いたちの幻が彼女たちに現われて、『イエズスは生きておられる』と告げたと言うのです。そこで数人のわたしたちの仲間が墓に行ってみますと、婦人たちが言ったとおり、そのかたは見当たりませんでした。
そこで、イエズスは仰せになった。「ものわかりの悪い者、預言者たちが語ったすべての事を信じるには心の鈍い者たち、メシアは、必ずこのような苦しみを受けて後、その栄光に入るはずではなかったか」と。そして、モーセから始めて、すべての預言者が、ご自分について聖書全体にわたって書いている事を、二人に説明された。
やがて、彼らは目指す村に近づいたが、イエズスはなおも先へ行きそうなご様子だった。それで二人は、「いっしょにお泊まりください。もう、そろそろタ刻になりますし、日もはや傾いています」と言って、無理に引き止めた。そこでイエズスは彼らとともに泊るために、家にお入りになった。
いっしょに食卓につかれたとき、イエズスはパンを取り、賛美をささげて、手で分け、二人にお渡しになった。すると、二人の目が開けて、イエズスだと気づいたが、そのとき、その姿は見えなくなった。
二人は、「あのかたが道々わたしたちに話しかけ、また、聖書を説き明かされたとき、わたしたちの心は内で燃えていたではないか」と互いに語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに引き返してみると、十二使徒とその仲間とが集まっていて、「主はほんとうに復活して、シモンにお現われになった」と話していた。そこでこの二人も旅の途中で起こった事や、パンを手で分けたとき、イエズスだと気づいた次第を物語った。
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復活後のイエズスに出会われた、印象的な話です。
私は、この章を読むとイエズスは、本当にどんな人の近くにいてくれるのだとよく思います。
そして私が一番好きな、エマオへの旅人の章がこの主の復活を彩ります。
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エマオへの旅人(ルカ24章13~35節)
ちょうど同じ日のことであった。二人の弟子がエルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村に向かって歩いて行きながら、これらいっさいの出来事について話し合っていた。二人がともに話し合ったり、論じ合ったりしていると、イエズスご自身が近づいて来て、いっしょに歩き始められた。しかし、二人の目はさえぎられていて、このかたがイエズスであるとは気づかなかった。
すると、イエズスは二人に、「あなたがたが歩きながら語り合っているその話はなんの事ですか」と仰せになった。そこで、二人は暗い顔をして立ちどまった。そして、その一人、クレオパという者が答えて、「エルサレムに滞在していながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけがご存じないのですか」と言った。
イエズスが、「それはどんな事ですか」とお尋ねになると、二人は言った。「ナザレのイエズスのことです。このかたは神とすべての民の前で、行ないにも、言葉にも力のある預言者でした。それなのに、われわれの大祭司や議員たちが、このかたを死刑にするために引き渡し、そして十字楽につけてしまったのです。わたしたちは、イスラエルをあがなってくださるのは、このかただと望みをかけていました。
しかも、その事があってから、きょうでもう三日目です。ところが、仲間の数人の婦人が、わたしたちを驚かせました。というのは、彼女たちが朝早く墓に行きましたが、イエズスの体は見当たりませんでした。そして、帰って来て、み使いたちの幻が彼女たちに現われて、『イエズスは生きておられる』と告げたと言うのです。そこで数人のわたしたちの仲間が墓に行ってみますと、婦人たちが言ったとおり、そのかたは見当たりませんでした。
そこで、イエズスは仰せになった。「ものわかりの悪い者、預言者たちが語ったすべての事を信じるには心の鈍い者たち、メシアは、必ずこのような苦しみを受けて後、その栄光に入るはずではなかったか」と。そして、モーセから始めて、すべての預言者が、ご自分について聖書全体にわたって書いている事を、二人に説明された。
やがて、彼らは目指す村に近づいたが、イエズスはなおも先へ行きそうなご様子だった。それで二人は、「いっしょにお泊まりください。もう、そろそろタ刻になりますし、日もはや傾いています」と言って、無理に引き止めた。そこでイエズスは彼らとともに泊るために、家にお入りになった。
いっしょに食卓につかれたとき、イエズスはパンを取り、賛美をささげて、手で分け、二人にお渡しになった。すると、二人の目が開けて、イエズスだと気づいたが、そのとき、その姿は見えなくなった。
二人は、「あのかたが道々わたしたちに話しかけ、また、聖書を説き明かされたとき、わたしたちの心は内で燃えていたではないか」と互いに語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに引き返してみると、十二使徒とその仲間とが集まっていて、「主はほんとうに復活して、シモンにお現われになった」と話していた。そこでこの二人も旅の途中で起こった事や、パンを手で分けたとき、イエズスだと気づいた次第を物語った。
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復活後のイエズスに出会われた、印象的な話です。
私は、この章を読むとイエズスは、本当にどんな人の近くにいてくれるのだとよく思います。
by gabbyna
| 2009-04-08 23:28
| カトリックのつぶやき