最初の四旬節の意味
2009年 03月 08日
他のキリスト教では、解りませんが、カトリックでは、一般的に成人洗礼を希望する人は、カトリックの要理というのを先に勉強します。普通は、半年か、一年半かけて勉強をしていきます。私も成人洗礼でしたからこの勉強をしました。
通常は、成人の洗礼は、復活祭の夜に行なわれます。なので1年間、勉強をそれにあわせて準備していきます。つまり、キリストの復活は、私のように神を知らなかった人が、神を知り、新たな人間に生まれ変わると言う意味を持っています。なので復活祭の夜に行なわれるのです。が、私は、復活祭よりも少し早い2月終わりの頃に洗礼を受けました。
私がカトリックになるまでには、他のプロテスタントの教会へ行っていたり、ミッション高校だったので学校の中でお御堂へ行ったりしていました。高校時代に友達がカトリックの先例を受けたのを見て、純粋な友達の姿勢に自分は、洗礼を受けることが出来ないような気すらしたものでした。
その後大学へ進学した自分は、大学がプロテスタント系で一年生の時は、確か礼拝に参加するのが義務みたいだったようで参加したのを覚えていますが、礼拝の仕方の違いにこれまた何か違うなぁと思って礼拝の最中に頭を上げて牧師さんであった教授の講和を見ていたのを覚えています。
私が東京の学生生活に疲れた頃、高校時代の恩師でもあるシスターに手紙を出しました。あの頃は、メールなんてなかったので手紙でした。楽しい筈の東京生活、そして花の時代、なのに私は、東京の華々しい生活のかけらも持てず、毎日バイトと学校の往復で疲れ果てていたのでした。友達もあまりいなく、バイトが終わってアパートへ戻れば一人、寂しかったなぁ。そしたら素敵なカードと一緒に恩師のきれいな手紙が届きました。日本風なマリア様の絵のカードでした。そして書かれていた言葉に凄く心動かされたのでした。
が、それから直ぐカトリックの洗礼を希望したわけではなくて、紆余曲折があって、?年後の洗礼希望となったわけです。
私が決定的にカトリックになろうと決心をしたのは、一体どういう理由だったかは、いろいろとありますが、ただ一ついえるのは、私の中に基礎となる考えが欲しいと切望したことでした。
そしてゲーテだったと思いますが、人生の終わりにもし、神様がいて、自分の人生をどう見られるかということがあるとすれば、私は、神様の言葉を守りながら生きたといえる方がいいという、その言葉を私もそうだと思ったことです。
私は、2月の終わりに洗礼を受けました。なので少し早い四旬節を1月にしたのでした。洗礼の準備として、代母となった友達と一緒に黙想会をしたりしました。寒いお御堂の中で一緒に祈ったり話をしたりしたことは、今後は、ありえない有意義な時間でした。
2月の終わりの日曜日、寒い寒い日に私は、洗礼を受けました。寒くても心の中は、暖かく満たされていたのを覚えています。ミサの後、今は、亡き神父様がニコニコとした笑顔で独特の言い方でよかったなぁと言って下さったのを今も思い出せます。今もその時のベールもロザリオも全部手元に持っています。こちらへ来る時も肌身離さず持ってきたものでした。
それから既に??年が過ぎました。日々忙しさにまぎれて何も考えないで生活をしているこの頃。
通常の四旬節を行なう今、改めて神様の受難と死、そして続く復活を考えたいと思います。
通常は、成人の洗礼は、復活祭の夜に行なわれます。なので1年間、勉強をそれにあわせて準備していきます。つまり、キリストの復活は、私のように神を知らなかった人が、神を知り、新たな人間に生まれ変わると言う意味を持っています。なので復活祭の夜に行なわれるのです。が、私は、復活祭よりも少し早い2月終わりの頃に洗礼を受けました。
私がカトリックになるまでには、他のプロテスタントの教会へ行っていたり、ミッション高校だったので学校の中でお御堂へ行ったりしていました。高校時代に友達がカトリックの先例を受けたのを見て、純粋な友達の姿勢に自分は、洗礼を受けることが出来ないような気すらしたものでした。
その後大学へ進学した自分は、大学がプロテスタント系で一年生の時は、確か礼拝に参加するのが義務みたいだったようで参加したのを覚えていますが、礼拝の仕方の違いにこれまた何か違うなぁと思って礼拝の最中に頭を上げて牧師さんであった教授の講和を見ていたのを覚えています。
私が東京の学生生活に疲れた頃、高校時代の恩師でもあるシスターに手紙を出しました。あの頃は、メールなんてなかったので手紙でした。楽しい筈の東京生活、そして花の時代、なのに私は、東京の華々しい生活のかけらも持てず、毎日バイトと学校の往復で疲れ果てていたのでした。友達もあまりいなく、バイトが終わってアパートへ戻れば一人、寂しかったなぁ。そしたら素敵なカードと一緒に恩師のきれいな手紙が届きました。日本風なマリア様の絵のカードでした。そして書かれていた言葉に凄く心動かされたのでした。
が、それから直ぐカトリックの洗礼を希望したわけではなくて、紆余曲折があって、?年後の洗礼希望となったわけです。
私が決定的にカトリックになろうと決心をしたのは、一体どういう理由だったかは、いろいろとありますが、ただ一ついえるのは、私の中に基礎となる考えが欲しいと切望したことでした。
そしてゲーテだったと思いますが、人生の終わりにもし、神様がいて、自分の人生をどう見られるかということがあるとすれば、私は、神様の言葉を守りながら生きたといえる方がいいという、その言葉を私もそうだと思ったことです。
私は、2月の終わりに洗礼を受けました。なので少し早い四旬節を1月にしたのでした。洗礼の準備として、代母となった友達と一緒に黙想会をしたりしました。寒いお御堂の中で一緒に祈ったり話をしたりしたことは、今後は、ありえない有意義な時間でした。
2月の終わりの日曜日、寒い寒い日に私は、洗礼を受けました。寒くても心の中は、暖かく満たされていたのを覚えています。ミサの後、今は、亡き神父様がニコニコとした笑顔で独特の言い方でよかったなぁと言って下さったのを今も思い出せます。今もその時のベールもロザリオも全部手元に持っています。こちらへ来る時も肌身離さず持ってきたものでした。
それから既に??年が過ぎました。日々忙しさにまぎれて何も考えないで生活をしているこの頃。
通常の四旬節を行なう今、改めて神様の受難と死、そして続く復活を考えたいと思います。
by gabbyna
| 2009-03-08 13:35
| カトリックのつぶやき