不測の事態・・・2度あることは、3度ある。。
2010年 07月 13日
今年は、徹底的に余りよくない年なのかもしれません。
一昨日、家に戻り、夕飯も終わりさて自由な時間を楽しもうとPCに向かってメールをチェックしたら、元亭主からのメールが届いていました。「連絡」という簡単なSubject・・・・?と思って読んでみたら・・
「Nさんが亡くなったそうだ、詳しくは、お父さんに聞いて。」というものでした。その瞬間、頭をがんと殴られた気がしました。Nさんは、私の育ての親の一人でした。
Nさんは、父の古くからの友人で私が生まれるずっと前から、母が父と結婚する前からの友達だったそうです。父は、JRの前の親方日の丸の企業に勤めていました。そこでNさんと知り合ったそうです。でも父は、体が弱くてそこを辞めることになりました。で、お店を始めたのですが、そこは、元の職場の近く、友達(悪友)がいつも押し寄せて?!いたそうです。だから仕事にならなかったり、他の遊び!を一杯したりしていたそうです。で、Nさんは、母が嫁いできてからも家に入り浸っていたそうです。酒を飲みすぎると家で泊まっていったりしていたそうです。(新婚の家になんて迷惑な人だったんでしょうね。)
私が生まれると母がしばらく体調を崩してしまったそうで、その間私をよく面倒を見てくれたのがNさんの奥さんだったそうです。Nさんの家には、既に3人の子がいたんですが、私よりも既に10才以上上だったのですが、私を年の離れた末っ子のように扱っていたそうです。よく家に連れて帰って行ったそうです。
またNさんは、女性にももてたようで?!実家以外に女性が居たそうなんですが、私を連れて平気でその女性の家へ行ったりしていたそうなんです。(これは、母から聞いた話で結構有名なことだったようです。)
私は、本当によくNさん家に行っていました。小学生までの夏のお祭りは、実家のところでなくて何時もNさんの家でした。Nさんは、私の父親代わりで私が頼むこと、じっさいに親ならすることを全部してくれていたような気がします。前にも書いたと思いますが、私の父は、頭が良すぎて、一人で黙って仕事をして、家族から少し距離を置いて接するので子供として一杯甘えたのは、このNさんだったと思います。その所為で私の結婚式(最初のほう)で花嫁の父の役をしたのは、Nさんでした。いわゆるバージン・ロードをエスコートするという・・。
月日は、経って、我が息子にも小さいじぃじと呼び慕われていたNさんもいろんな手術をし、経過が思わしくないのと少々認知症が加わり、入退院を繰り返した居ました。去年、里帰りした折にお見舞いに行こうとしたら断られたのが凄くショックでした。老いた姿を見せたくないと言っていたそうです。
でも次の里帰りの時に会いたいなぁと思っていたので、会えると思っていたので急に逝かれてしまい、ショックを受けています。
心の中で漫然とした喪失感を感じていて、本当にどうしていいのか、解らない部分とあきらめている部分が混ざり合っているこの頃です。
一昨日、家に戻り、夕飯も終わりさて自由な時間を楽しもうとPCに向かってメールをチェックしたら、元亭主からのメールが届いていました。「連絡」という簡単なSubject・・・・?と思って読んでみたら・・
「Nさんが亡くなったそうだ、詳しくは、お父さんに聞いて。」というものでした。その瞬間、頭をがんと殴られた気がしました。Nさんは、私の育ての親の一人でした。
Nさんは、父の古くからの友人で私が生まれるずっと前から、母が父と結婚する前からの友達だったそうです。父は、JRの前の親方日の丸の企業に勤めていました。そこでNさんと知り合ったそうです。でも父は、体が弱くてそこを辞めることになりました。で、お店を始めたのですが、そこは、元の職場の近く、友達(悪友)がいつも押し寄せて?!いたそうです。だから仕事にならなかったり、他の遊び!を一杯したりしていたそうです。で、Nさんは、母が嫁いできてからも家に入り浸っていたそうです。酒を飲みすぎると家で泊まっていったりしていたそうです。(新婚の家になんて迷惑な人だったんでしょうね。)
私が生まれると母がしばらく体調を崩してしまったそうで、その間私をよく面倒を見てくれたのがNさんの奥さんだったそうです。Nさんの家には、既に3人の子がいたんですが、私よりも既に10才以上上だったのですが、私を年の離れた末っ子のように扱っていたそうです。よく家に連れて帰って行ったそうです。
またNさんは、女性にももてたようで?!実家以外に女性が居たそうなんですが、私を連れて平気でその女性の家へ行ったりしていたそうなんです。(これは、母から聞いた話で結構有名なことだったようです。)
私は、本当によくNさん家に行っていました。小学生までの夏のお祭りは、実家のところでなくて何時もNさんの家でした。Nさんは、私の父親代わりで私が頼むこと、じっさいに親ならすることを全部してくれていたような気がします。前にも書いたと思いますが、私の父は、頭が良すぎて、一人で黙って仕事をして、家族から少し距離を置いて接するので子供として一杯甘えたのは、このNさんだったと思います。その所為で私の結婚式(最初のほう)で花嫁の父の役をしたのは、Nさんでした。いわゆるバージン・ロードをエスコートするという・・。
月日は、経って、我が息子にも小さいじぃじと呼び慕われていたNさんもいろんな手術をし、経過が思わしくないのと少々認知症が加わり、入退院を繰り返した居ました。去年、里帰りした折にお見舞いに行こうとしたら断られたのが凄くショックでした。老いた姿を見せたくないと言っていたそうです。
でも次の里帰りの時に会いたいなぁと思っていたので、会えると思っていたので急に逝かれてしまい、ショックを受けています。
心の中で漫然とした喪失感を感じていて、本当にどうしていいのか、解らない部分とあきらめている部分が混ざり合っているこの頃です。
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by gabbyna
| 2010-07-13 12:32
| 未分類