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カテゴリ:ちょっと昔の話( 16 )

デング熱にかかったことのある私

ここ2,3日、日本のニュースで気になったのは、「70年ぶりに日本でデング熱感染者が出た。」ということです。
日本では、あり得ないと思われたデング熱にかつてかかったことのある私は、気をつけてほしいと思い、久々に当時のことを書こうかなぁと思って少し記憶をたどってみました。

私がかかったのは、今から5年ほど前です。その年は、私の住んでいる市が大当たりした年で年末年始あたりから死者が出ていました。そう、デング熱で死ぬこともあるんですよ。

私の場合は、まず発熱、それも結構高熱なのでまず疑ったのが、私の場合は、喉の腫れ、つまり扁桃腺炎だと思ったのです。私は、扁桃腺炎で発熱する傾向があるのです。で、丁度デング熱大フィーバーをしだした頃なので救急治療室がある病院は、何処へ行っても一杯なので(TVの地元ニュースで報道していたのです。)なるべくいかない努力をしていた私、流石に酷い熱なので友達に付き添われて当時の保険プランを持っていた病院の救急室へ。そこも待合室は、溢れる病人でいっぱいでした。結構待って自分の診察の番です。
中へ入って行くと医者がいて、私は、「どうも扁桃腺炎かと思うのですが・・・・。」と言ったらそうですね、と一応の診察する風にチェックしてその後カルテにサッサ~となにか書いてすぐに注射の方へ回されました。
熱が下る注射をされて、処方箋をもらい、解熱剤を買って家に戻りました。兎に角、熱が出て来るので解熱剤をのみひたすら寝る状態でしたが、翌日になっても熱が下がりません。一度は下がるけどすぐ上がります。
それでも薬を飲んで寝ていたのですが、何と翌日腕とお腹に赤い発疹が。これは、デング熱の特有の症状です。それを見て、私、デング熱だったんだ!と分かった次第です。

で、デングなので解熱剤は、タイレノールに変えて、ひたすら寝ていました。食欲が無いのでゲータレードを飲んでいました。起き上がると体の関節が痛いのなんのって。体重で足が痛いって思ったのは、この時初めてでした。一番のピークが発疹が出る前から出た2日後ぐらいなのでそれが過ぎると何となく起き上がれるし、動けるかなぁと思ったのでした。
1週間後には、熱も下がり、動けるようになったのですが、後で思ったのは、ものすごく体力を消耗していたので自分の免疫力が下がった気がしました。

予防としては、兎に角、虫除けです。私は、虫除けのクリームとか、スプレーは、必需品で何時も使っています。後は、家の周りに余分な水を置かないということです。蚊が発生しないように注意すればいいわけです。

こちらの人は、デング熱に2度も3度も掛かる人がいます。それで死ぬかというと死ないないけど、やはり凄くつらい思いをするのでかからないに越したことがありません。

注意していけば大丈夫です。

スキンガード100 【HTRC2.1】

ジョンソン


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by gabbyna | 2014-08-29 11:26 | ちょっと昔の話 | Comments(2)

招かざる客

我が家の3階は、屋根が3分の1ぐらいかかっていて他は、オープンになっています。
家でフェスタを開く場合、シュハスコが出来るようなスペースとして設計?!されたと思いますが、実は、無用の長物となっているのです。何せ、自営業なのでほとんど、休みがない、なので家で友人を招いてシュハスコ・パーティーなどすることは、ほとんどないのです。
過去に一度だけ、旦那の親友が日本から里帰りした折に使用した以外、全然使っていないのです。

最近、その使ってない屋根のあたりを中心に鳩の糞が一杯ついているのを発見、3階の掃除をお掃除だけしてもらう人にお願いをしたのですが、その時に屋根の下に水をためるタンクがあるのですが、そのあたりにどうも巣を作っているんじゃないかということが解りました。卵が割れて落ちていたのです。

でそれから気をつけているのですが、いたちごっこのような感じになりつつあるこの頃。糞害は、結構なもので時折、掃除をしているのですが、もう掃除をしてもすぐ糞が付くという感じです。

それでふと思い出したのは、私の母校の高校の先生のことでした。
私の高校は、ミッションでまぁ穏やかな先生が多かったのですが、某有名部の顧問であるI先生は、女子高では、ちょっと目立つ男性教諭でした。担当は、歴史でしたが、私は、授業が別の歴史の女性の先生だったので直接は、面識がなかったのですが、まぁいろんな噂が入ってきたものでした。
同じ運動部系ということで時々は、なんか、顔を合わせていたのでしたけど、ふ~んって感じでした。

ある日、担当の女性教諭が休みとなってしまい、急遽代行でこの先生が着ました。で、授業中に窓の外にいて煩い鳩を見つけては、追い払っていました。曰く、「(鳩の)卵を投げ捨てて殺したほうがいい。」とかいう、過激なものでした。当時は、凄いことを言うなぁ~~って驚いたものでした。。。

が、今は、同じような気持ちになります。タンクのある部分へ上って巣を捨ててしまいたいなぁと思うこの頃です。
なんか、いい対策がないかとググって見るこの頃です。
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by gabbyna | 2011-02-13 12:15 | ちょっと昔の話 | Comments(2)

HalloweenとKate Bush

Halloweenは、実は、私にとても大きな意味を持つ日なのです。
初めてアメリカへ行った時期と最初の結婚記念日という2重の意味が重なってます。

私が始めてアメリカへ行ったときのことは、前にも書いたと思うので省きますが、兎に角印象的だったのがあの大きなパンプキンを売っている場所とスパイスショップでした。あの匂いを嗅ぐとその時のことを思い出します。匂いの印象も結構強烈なものだと思った体験でした。

でもって最初の結婚記念日というのも妙なものでこの日を何で選んだのかは、今では、謎??なんですけど、なんでだったかなぁ?!
日本では、余り馴染みのないHalloweenの日に結婚した私達は、結局離婚してしまったわけですが、今でも何かというと結構付き合いがあります。子供が居る所為で父親と母親としての縁は、切れないわけです。
で、何故か、この結婚日を思い出すとこの曲を思い出します。

私の好きなKateBushの「Running Up Hill」です。

Kate Bushは、「嵐が丘」で有名ですが、自分でプロデュースしだした音楽の方がいいかなと思ってます。

The Hounds of Love (+6 Bonus Track)

Kate Bush / EMI

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彼女の持つ音楽の雰囲気は、やはりイギリスっぽいのだけれどHalloweenのあの怪しい雰囲気にも合うもので妙に惹かれるのかもしれません。
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by gabbyna | 2009-10-26 07:16 | ちょっと昔の話

バンクーバー博物館の思い出

学生時代に近かった所為もあって、隣の国のバンクーバーあたりへよく行ったりしました。
道路を一本走っていけば、いけるわけなので楽だったし、でも行くとしっかりと違う国という感じがして不思議な感覚を受けていたものだ。何せ、日本は、島国、走ったって隣の国へいけるわけがないし、そんな体験をしたことは、ないわけです。

そのバンクーバーで結構好きだったのがこのバンクーバー美術館でした。

規模的には、そう大きくないのかもしれないが、結構好きで行ったものです。
なかでも好きだったのがアメリカン・インディアンの歴史、現在の居住区など、以外に知らないことがきちんと丁寧に説明されて展示されてあったので初めて見た時は、結構な感動を覚えたものでした。

何故、あの当時インディアンに興味とか、感動とか、親近感を抱いていたかといえば、やはり当時のアメリカにいるとカテゴリー白人の日本人としても時々微妙な差別というか、そんなものをどこかで意識していたのかもしれません。それがインディアン関連のところへ行くと同じアジア系人種なので微妙にほっとするような気持ちを覚えたのかもしれません。

この間、日本で友達と再会をしていろんことを思い出して、そういえば、こんな風に思っていた時期もあったんだなぁと改めて思い出しました。

また機会があったら行ってみたいと思います、今は、展示品とかも変っているでしょうね。
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by gabbyna | 2009-10-09 23:45 | ちょっと昔の話

月日は、流れて・・・。

ジョニ・ミッチェルを聞きたくなり、彼女の歌に「サークル・ゲーム」というのがあって、それを聞くと漫然と思い出す映画があります。この曲が挿入歌?として使われていた「いちご白書」という映画です。映画の原題が「The Strawberry Statement」というのでそのまま・・・。この映画自体は、余り覚えていないのですが、こちらにあらすじが載っています。

この映画は、実は、私がデートの出しとして連れて行かれて見たのでした。多分小学生になったぐらいだったと思いますが、私の日舞の姉弟子さんと直のお師匠さんの息子さんと一緒の行ったようです。姉弟子さんは、凄く美人でそのお師匠の息子さんも結構ハンサムだったような記憶があります。なんで私を連れて行ったのかは??ですが、カモフラージュだったのかなぁ。小学一年生を連れて行く映画じゃないよなと後から思いました。

そんなお子様の私が見ても全く理解できなかったこの映画で唯一覚えていたのが主役のお兄さんのイメージでその若い学生のイメージが結構強烈だったのですが、ガイジンのお兄さんってこうなんだ??と感心したものでした。細くてフレームのない、メガネをかけて、青いジーンズのシャツとジーパンという感じ。
その後、この方は、「ウィラード」というネズミが一杯出てくる映画に出ていたのを見たのですが、同じ雰囲気でした。服のスタイルも変わりなし、あの時代の青年像だったのかなぁ?!
確か、このウィラードの挿入歌が若かりし、マイケル・ジャクソンが歌った「Ben」ではなかったかと思います。


でもってこの間、ジョニの歌を聴きながらふと、ググッて見たら、映画のタイトルからこの俳優さんの名前がわかり、この映画から現在のBruce Davisonが活動しているのが解りました。どんな映画に出ているかと思ったら・・・・「X-men」でミュータントにされちゃうSenator Kellyをやっていました!あの細身のひ弱そうなお兄さんは、今じゃ立派な中年おじさんになっておりました。ああ、月日は、流れていた・・・・。

しかし、Googleは、凄いですね、あの人は今??できるのですから。当分この作業に嵌りそうです。
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by gabbyna | 2009-06-04 13:11 | ちょっと昔の話 | Comments(2)

Thank you for the music

このところ、毎日繰り返して聞いているのが、「MammaMia」の最後のエンディングで使われていた、Thank you for the musicです。


I'm nothing special, in fact I'm a bit of a bore
If I tell a joke, you've probably heard it before
But I have a talent, a wonderful thing
'Cause everyone listens when I start to sing
I'm so grateful and proud
All I want is to sing it out loud

So I say
Thank you for the music, the songs I'm singing
Thanks for all the joy they're bringing
Who can live without it, I ask in all honesty
What would life be
Without a song or a dance what are we
So I say thank you for the music
For giving it to me

Mother says I was a dancer before I could walk
She says I began to sing long before I could talk
And I've often wondered, how did it all start
Who found out that nothing can capture a heart
Like a melody can
Well, whoever it was, I'm a fan

So I say
Thank you for the music, the songs I'm singing
Thanks for all the joy they're bringing
Who can live without it, I ask in all honesty
What would life be
Without a song or a dance what are we
So I say thank you for the music
For giving it to me

I've been so lucky, I am the girl with golden hair
I wanna sing it out to everybody
What a joy, what a life, what a chance!

Thank you for the music, the songs I'm singing
Thanks for all the joy they're bringing
Who can live without it, I ask in all honesty
What would life be
Without a song or a dance what are we
So I say thank you for the music
For giving it to me
So I say thank you for the music
For giving it to me

この曲を聴くと学生時代の教養課程で取った音楽の授業を思い出します。M音大の教授のWという先生が授業をしてくれたのです。
私は、日本舞踊を習っていたので他の習い事をさせてもらえなかったのでした。私は、他の子がやっているピアノとかエレクトーンを習いたかったものでした。小学校から中学、そして高校時代、他の子が優雅にピアノなどを弾くのがうらやましかったものでした。
で、大学の授業で音楽をとったのは、美術とかよりも苦手じゃないから、音楽を聴くのは、好きだからということでした。

で、この音大の先生、英語などをやっている私たちに要求したのは、歌うこと、オルガンを弾くこと、クラッシックのコンサートに行くことでした。授業でクラッシックの歌曲を歌わなきゃいけなくなって、「声が出ません、オンチです!」といえば、「音痴は、いません、矯正できます」とより歌をしごかれて、出来ないオルガンを弾かないと単位が取れないので先生に「私は、弾けません、習ったことがないからです。」と直訴したら、個別指導をして教えてくれて、本当にいいクラッシックの音楽会(先生の音大の生徒たちがやってくれるから無料とか、格安で聞けたりした。)へ、行けてよりクラッシックの魅力を知ったりして。本当にこの先生のお陰で私の音楽人生は、ガラッと変わり、より豊かになった気がします。

どんな時にでも慰めてくれる音楽があることは、幸いです。一緒に歌えば心から喜びが湧き上がります。私的には、やっぱり英語で歌われる曲が好きです。

この曲を聞くとそんな先生を思い出して感謝してしまう私です。
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by gabbyna | 2009-03-19 13:37 | ちょっと昔の話 | Comments(4)

灰の水曜日から思い出すこと

Ash Wednesday, 灰の水曜日が過ぎました。カルナヴァルも終わり、ブラジルの各地の情熱と狂乱?!のカルナヴァルのパレードが終わり、皆さん燃え尽きているようです。その所為か?静かも。

灰の水曜日ということで思い出すのがこの映画、「ジーザスクライストスーパースター」です。

ジーザス・クライスト=スーパースター 【ユニバーサル・ミュージックDVDコレクション】

Universal Pictures Japan =dvd=

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映画は、かなり古いかもしれないのですが、劇として結構日本でも劇団四季がやっているので知っている人も多いと思います。

私が見たのは、映画でした。こちらです。キリスト教徒的に言えば、少々脱線している部分が多いのですが、基本的な何かが、圧倒的に迫ってくるものがありました。私のキリスト教徒としての方向性を決定したような部分がありました。

初めて見たのは、オンタイムではなく、学生になった頃、BFがいいよといって見せてくれたと思います。私は、キリスト教への憧れがあったけれど、まだそれほど、シリアスに見た記憶がなかったのですが、BFの方がこの映画への思い入れが強かったようで熱心に説明をしてくれたのを聞いた記憶があります。
Musicalなんだけれど、テーマがどんどん胸に迫ってくる、凄い感動を感じたもので自分の中で確信というか、そういうものに形を変えていくような影響を受けた気がしました。

その後、自分が本当にクリスチャンになるという決意をして勉強をして、当時の友達と改めて見直したこの映画に人間としてのキリストに何を感じるかということを見たような気がしました。その当時、私のカトリック教会仲間でその後シスターになった友達のCさんは、この映画を見て、「キリスト教的には、NGな部分が残るけど、人間としてのイエス様に焦点をあててるのもいいことね、魅力的にみえるわ。」といったのが記憶に残っています。
その後、彼女は、「何よりも代えて神を愛する生活」に入っていきました。その単純な原点がこの映画の中に見れた気がしました。

私は、全てを神の為に捧げる生活には、入っていけなかったけれど、神を受け入れることは、しました。そしてやはり神様を何時も自分の気持ちの中で愛している自分がいます。

灰の水曜日から四旬節、この時期の意味をもう一度考え直したいと思います。
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by gabbyna | 2009-02-27 13:25 | ちょっと昔の話 | Trackback | Comments(3)

First Kissの思い出す曲

先週は、副業の仕事が重なってきたので頑張って仕事をいたのですが、仕事中は、結構音楽を聴くようにしています。それもWlakmanで聞いている私。

何せ、後ろを振り向けば、ポルトガル語の洪水、我が旦那さんは、どうもTVの音量を上げて見たがる人なので(多分、日本でした仕事の所為で難聴疑惑あり。)PCに向いながら仕事をしている私には、気が散る状況なのです。なのでWalkmanで好きな音楽をガンガン聴きながら仕事をします。
その所為か、仕事が終わって寝たら昔のことを夢に見て思い出しました。

BGMは、ユーミンの「DowntownBoy」


それは、私の従兄弟の家がまだ地元の繁華街近くの町にあった頃、市の繁華街から10分ぐらいの場所は、裏町のような賑わいがある場所でした。それでもいい庭付きの家が続きで立ち並ぶ場所でした。従兄弟の家は、入り口付近の家でした。祖父が建てた家は、少々古めのいい家でした。
隣の家は、庭付きのモダンな家、反対側も古い建て方の家、そしてその隣には、大きな庭のある洋風な家がありました。そこに私の初恋の相手だったK君がいました。
その家がどんな家業だったのか、どうかは、余り覚えていません。ただ、何時も一緒に遊ぶ仲間でちょっとだけ、年上の男の子のK君は、多分、韓国籍の子だったと思います。
私の祖父の家は、従兄弟ばかりで従姉妹は、いないので何時も男の子ばかりと一緒に遊んでいました。木登り、凧揚げ、パチンコ、ブーメラン、めんこなどなど、男の子のする遊びは、ほとんど一緒にやっていました。その反対側の洋館の家の庭は、格好の木登り、おにごっこの場所でした。私の兄は、この従兄弟の家に来て一緒に遊ぶことが余りなく、私と一つ年上の従兄弟とその仲間と何時も遊んでいたように思います。兄のように甘えられて頼もしくて何時も一緒にいたK君のことが好きなんだなぁと思ったのは、小学校も高学年になりかけた頃でした。
その家が売られて暫く空き地になってしまうという話を従兄弟から聞かされて、K君とも遊べなくなるんだということを聞いたのでした。

その話を聞いた後、何時だったか、K君と一緒に木に登って下を見ていた私達。引っ越すんだね?という私の問いに、K君は、そうだよ、遠くに行くんだよ。と答えました。その遠くがどれくらいかが解らない私は、なんか、急に寂しくなったものでした。で、ふとK君の顔を見ていたらいきなり顔が近くにあり、ほんとに軽くキスをされたのでした。夕方の風にふかれてしばらく木の枝に座り続けていた私達でした。

その後、どの程度してか、その家は、売られ、K君もいなくなりました。その後、一度だけ、彼に再会したことがありました。従兄弟の家の近くに来たとかで偶然会うことが出来ました。既に学生服を来て大きくなっていたK君、笑顔の中に昔の彼の面影を少し見れたのは、嬉しかったのですが、時間がたっているのだなぁと彼のその姿に知らない人を見たような思いをしたものでした。

そんな懐かしいことを思い出させてくれました。
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by gabbyna | 2009-01-27 12:43 | ちょっと昔の話 | Comments(6)

詩篇と思い出の神父様

私は、カトリックであるのでお祈りの本というものを幾つか持っています。
中でも聖書から取り出された詩篇で作られている祈りの本が好きなのですが、これは、私がまだ未信者の頃、今は、トラピスチヌ修道院には入っている友達から貰ったものでした。
カトリックのミサでも詩篇唱和として歌われています。歌いながら祈ると言うことですね。

聖書は、御存知のように旧約と新約と2部にわかれます。で、詩篇は、旧約の方からの抜粋です。なのでこの詩篇の中で神様を表現するのは、結構、強烈に強い神というイメージが沸いて来ます。詩篇は、ユダヤ教でもキリスト正教会でも同じように使われているそうです。

目からウロコ 詩編で祈る

来住 英俊 / 女子パウロ会

これもお祈りの本です。

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私が洗礼を受けた頃、私の所属していた教会は、若い人が活発に活動をしていた時期でした。
青年会みたいのもあって一緒にあちこちへ出かけたものでした。凄く楽しかったのでした。何か何時も楽しくて、気持ちが開放されていたのを覚えています。大学生をしていたり、既に仕事をしながら教会の活動を支えたりしていた人も多かったのでした。若い男女が一緒に活動をするのでそれなりに恋愛的なモードに発展していったこともありました。中には、結婚をしたカップルもいました。が、それ以上にこのグループの中から修道女、修道士に向かっていった人が出てのは、指導司祭が良かったからじゃないかと思います。その指導司祭は、私の洗礼を授けてくれたM神父様で、既に帰天(故人)されてしまいました。お酒も飲むし、タバコも吸うし、美味しいものも大好きなM神父様は、とても大きな包容力のある人でした。

洗礼を受ける決心をしてきちんと「要理」の勉強を開始してからいつも神父様にあれこれと質問攻めにしていた私。何せ、理屈型なので・・そんな私を何時も笑いながら「困ったなぁ~」と言いながら答えてくれていたM神父様。

私は、M神父様で洗礼を受けれたことは、凄い恵みだと改めて思うことが多いのです。そして彼の歩いていった路を遠くに見ながらやっぱり歩いていきたいと何時も思うのです。
葬儀ミサの折に貰ったM神父様の写真入のカードを今も時々見返して、路を知らせくださいと祈る私です。
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by gabbyna | 2009-01-14 13:01 | ちょっと昔の話

インド風カレーで思い出したこと。

この間のブログに載せた「Catch and Release」を見ていて、この相手役のティモシー君がいいなぁと思っていたのだが、改めてDVDを見直していたら、昔の彼氏の顔がこの手のばかりというのに気づいたのでした。ガイ・ピアース、ティモシー・オリファント、並べると良く似ている、私の好きな顔のタイプなんです。細めの神経質そうな顔といいましょうか・・・。
大きな声じゃいえないが、EXもこの手の顔なんです。で、もって実は、私の息子もこの手の顔なんです。先に気づけよ、母親って感じですが・・・・。
でもって今は、もっと時効の話なんですが、学生時代の彼氏、強烈にこの手の顔でした。しかしながら、今の旦那さんは、この手の顔でありません。(謎)

でその学生時代の彼にまつわる思い出なんですが、この人は、料理が上手でした。で、その彼が全てスパイスから作ってくれた本格的インドカレーがこれほど美味しいものか?!と思ったことがありました。
当時、これらのスパイスは、名前も味も始めて見たようなものがありました。コリアンダー、カルダモン、クミンシーズ、ホールスパイスいろんなものがありましたが・・・。これらを上手く調合して彼は、インド風カレーを作ってくれたものでした。
確かに私の地元には、インド風のカレーレストランが出来ていて、食べに行ったこともありました。今もあるんだろうか?!そのレストラン・・・。

インド風のものには、昔から結構惹かれていたのですが、最近例の「The mistress・・・・」の映画を見た後からまたインド風のものに興味が沸いてきています。
特に食事、ここは、暑い時は、40度ぐらいいくので何か、カレーとかを食べたくなってしまうのです。元々日本人のカレー好きは、もう日本に根付いてしまったカレー料理の所為でもあるのでしょうか、こちらに来てからカレーは、必ず週1回は、作ってきました。
が、実は、余り辛いのが食べれなブラジル人な今の旦那さんは、カレーよりは、シチューを好みます。で、私も余り暑いと胃が痛くなるので日本風のカレーが食べれないことが時々あるんです。が、誰かのブログで見て、これはいいと思ったのがトマトソースを一杯使った後に少しのカレー粉を入れて作る、チキンカレー。これは、今の私の胃にも優しく、トマトソース好きな旦那にも好評で美味しくてはまってしまいました。誰だったかな?!感謝しています。

10分でできる南インド料理―インド大使館秘伝珠玉のカレーレシピ60
ベーガム アクタル / / ネコパブリッシング
ISBN : 4873662796
スコア選択: ※※※※ こんな本があるんですね。作ってみたい。

それとカレーで思い出すのは、旦那様がパキスタン人だった友達の家に呼ばれ時の食事でした。全部カレー!!!でしたね。流石に食べていて、毎日カレーじゃ、大変じゃないのか??と思ったことを覚えています。

毎日フェジョンも嫌だけど、毎日カレーも駄目かも思いました。ちなみにフェジョンは、ブラジルの豆スープでこっちの人のソウルフードですが、私は、夏場は特に匂いが駄目でほとんど食べません。油ご飯を食べれない私です。暑い夏を乗り切るのは、ほんとに大変です。
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by gabbyna | 2008-11-14 11:53 | ちょっと昔の話 | Comments(5)

いろんな思うこと、あれこれと。。。。。


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