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別れ

昨日、うちのお店に長く勤めてくれた、元従業員のN1が亡くなりました。
私がこちらへ来た当初から既に旦那さんの店で働いていた彼女、まだ40歳の若さでした。

来た当初、私は、言葉が余り出来なくて、でもって働いている彼女達は、文盲というぐらい、教育の無い人たちで、貧しい北部出身だったからそれは、訛り酷くて、言葉が出来ない私には、彼女達とどうやってコミュニケーションをとっていいのか??悩む日々でもありました。

彼女は、実際に基本教育も受けていなかったので書くことも出来ない状態でしたが、後に夜学へいって、基本教育の2年ぐらいまではやったので書くことができるようになりました。

この時に居た従業員たちは、本当に困りものの集まりみたいな人が多くて、裏事情を旦那さんから聞いていた私には、言葉の問題もあって立ち向かうには、非常に大変な思いをしたものです。
が、このN1は、裏も無い働き振りと性格で言葉が出来ない私を妹のように優しく気遣ってくれました。
1年ぐらいして言葉が大分上達した後から未だに「あのころは、一体何を言っているのか??解らなかったよねぇ」とよく言われているものです。それでも彼女達とは、コミュニケーションを取り続けてきた私でした。
店が困っている時には、快くヘルプに来てくれるし、(もちろんExtraのお金は、払います。)人が辞めて困っていた時も就業時間を延長してくれて助けてくれたものでした。

そんなN1も私生活は、はっきり言ってあまり上手く生きてなかったのじゃないかと思います。子供も居ない(こちらには)し、弟妹達と一緒に住んだり、同僚と住んだりしていました。彼氏は、いたり、いなかったり、時には、妻子もちの男性も彼氏だったことがあります。私には、旦那にいえないことも結構あけっぴろげに話して聞かせたりしてくれたので私は、そういうことも結構知っていたりしました。

今年は、デング熱が流行して、まず彼女がかかり、次に別の従業員、そして私もかかりと大変でした。が回復して働いていたのに、その後いきなり、脳梗塞を起こした彼女、他にも病気があったようでした。
が、ここは、ブラジル、保険を自分で買わないとなかなか治療ができません。もちろん、無料のところもありますが、待つ、ひたすら待つというシステムで働いている彼女には、それは、なかなか大変なことだったと思います。病気になっても治す時間もお金も無いという現実、貧富の差が激しい現実です。

彼女は、寝たきりになりました、そして4ヶ月が過ぎて少し回復してきたかと思えたものの、やはり手術が必要な状態に戻ってしまって、いざ手術という話になったものの、体力が持たないのでもう少しまとうという話を聞いた、この間の土曜日、それがいきなり、月曜の夜に急変してしまい、火曜の朝になくなりました。

失業手当やらもう働くことが望めない状態になったので年金申請をして少しでも年金が降りるように手をかしていた旦那さん、そして現実的にお金が無いので手当てが出るまでお店としてお金を少しでも援助してあげようと出してあげ続けていました。
一度、彼女から電話がかかって来た時に私は、「待っているんだからね、良くなって戻ってきてよ。」ということを彼女何時伝えました。それが最後になってしまったものです。

こういう信頼できる従業員がいたから、今の私も旦那もあるんだなぁと思いました。彼女の冥福を祈りたいと思います。いろんな感慨を持ったN1の訃報でした。
by gabbyna | 2010-11-11 11:44 | 日々のこと

いろんな思うこと、あれこれと。。。。。


by gabbyna